手を伸ばせば届きそうな距離なのに、あと数センチの所で手が届かない。まるで見えない壁で仕切られているかの様に、近づくことも無ければ離れることも無い……私達はずっとそんな関係だった。
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はしゃいで過ごした夏が、あっという間に終わりを告げる。蝉の鳴き声と共に周りの恋愛話もパタリと聞かなくなったかのも束の間、寒くなったら寒くなったで“人恋しい季節”と理由をつけて恋をしたがる。年頃の女の子は皆、恋愛とお洒落が大好き。そんな恋する気持ちに真っ直ぐな彼女達はキラキラしていて、それが時々羨ましかった。
――そして今、目の前に居る彼もまたキラキラしている。
帰り際、名前も分からない彼に唐突に呼び止められ告白されるという少女漫画の一コマみたいなこの状況。漫画だったらキュンとときめく場面かもしれないけど、現実はかなり違うようで……正直、とても困っていた。
「あの、気持ちは嬉しいんですけど……」
脳内で「どうしよう」を何十回も繰り返して出てきたありきたりのセリフは、もうそれだけで「ごめんなさい」と同じ効果を持っていて、当然、目の前の彼にもソレは伝わっていた。
「もしかして、バレー部の黒尾と付き合ってるの?」
問いかけられたものは、以前にも女子から訊かれたことがあった。
「クロとはそんなんじゃなくて…………ただの幼なじみです」
「そうなんだ? いつも一緒にいて仲良さそうだからそうなのかなって」
男子からもそう見えるんだなぁ、なんてことをわりと冷静に思う。
身長が伸びてきた頃からクロがちょっとモテるようになって、“幼なじみ”という特別枠に少しだけ優越感もあった。クロの隣に居られるのは心地よかったし、それが当たり前のことだとも思ってた。でも、どんなに仲が良くても、手を伸ばせばいつでも届きそうでも「ただの幼なじみ」でしかない私たちの距離は遠く……その距離が縮まるか遠くなるか一か八かの賭けをする勇気も無い私は、好きだという気持ちを無かったことにして、普通に過ごすことが1番いいことだと思った。そうやって私のキラキラした光は心の奥に押し込んで消えたんだ。
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結局、「友達からでいいからもう少し考えてみて」と言われ、答えは濁したまま別れた。
そこからの帰り道、もう少し考えた事と言えばクロのことで。今まで何度か告白されてるであろうクロはなんで断ったのかな?とか、もし私に彼氏が出来たとして、クロはどんな反応をするのかな?あっさり「良かったな」なんて言うのかな?とか、ぐるぐるとそんな事を考えていたら背後から急に声がして、心臓が飛び出しそうなほど驚いた。
「っ」
「わっ、ク、クロ!? 何? ちょっと、びっくりさせないでよ」
「お前こそなんだよ、自分家通り過ぎる気か??」
ホントだ。クロに声をかけられるまで気付かなかったけど、もう家の前まで来ていた。
「珍しく遅いな」
「そっちは珍しく早いね……部活は?」
「ん、ちょっと早くやめてきた」
「どうしたの?」
「まあいいんだよ、今日は」
「ふーん」
何がいいのか分からなかったけど、理由を訊く気にもなれなくて「じゃあね」とクロに背中を向けると玄関から母が顔を出した。タイミングがいいのか、悪いのか。
「あら、鉄朗くんじゃない!」
「こんばんわー」
「何? そんな所で話してないで上がっていきなさい! 夕飯も出来たから食べてって」
母の手招きに、私を追い越しホイホイと玄関に向かうクロ。最早お互いに遠慮という言葉は無い。寧ろ母の場合、多めに作っては「鉄朗くんに持ってって」というのが定着してる。
「ごちそうさまー! 今日もすっげぇ美味かった」
「鉄朗くんに美味しいって言ってもらえるとおばさんも嬉しいわ~」
私の「ごちそうさま」も聞こえないくらい、母との会話が盛り上がってるクロをリビングにお置き去りにして部屋に戻った。
リモコンの電源を無意識に押し、深い溜息と共にベッドに倒れ込む。暫くしてからドアをノックする音が聞こえたけれど、私はそれをガヤガヤとしたテレビの音に紛れて聞こえないフリをして反応を待った。
「? ……おーい、チャン? 寝たのかよ?」
「寝た」
「起きてんじゃねぇか、開けるぞ?」
「ヤダって言ったら?」
「ヤダって言っても開ける」
私の返事なんてまるで無視。部屋に入ってきたクロは、いつものようにベッドのすぐ脇に腰掛けて何も言わずただテレビを見始めた。
「帰んないの?」
「帰って欲しいの?」
「別に」
「なんで機嫌悪ぃの? いいことあっただろ?」
「いいこと?」
ニヤニヤしながらこっちをじっと見るクロ。
「告白、されたろ?」
何で知ってるのか?という心の声が届いたのか、察しのいいクロは訊いてもいないのに「同じクラスに告った奴の友達が居て聞いた」そう言ってきた。
「で、どうなの? 付き合うの? 告白されて嬉しかった?」
「わかんない」
「いい奴らしいよ?」
「うん、それはなんとなくわかった」
なーんだ、クロは私に彼氏が出来ても別にいいんだ……だから普通に「いい奴らしいよ」なんて薦めてくるんだ。その瞬間、“クロも同じ気持ちならいいのに”という期待は無効化された。
気まずさから途切れた会話の居た堪れなさをTVの音が中和する。クロの広い肩越しに観えるテレビの画面はつまらなそうな番組で、でも彼はそれを黙って観ていた。
「おもしろい?」
「おもしろくない」
「リモコンなら此処にあるけど?」
ベッドから身体を起こしリモコンに手を伸ばすとその手をクロがぎゅっと掴む。
「なんか、すげぇおもしろくないんですけど」
「え、だからリモコンを……」
「テレビじゃなくて、お前だよ。なんですぐ断らないわけ? いい奴だから保留?」
「別にそういうんじゃないけど……てか、さっき自分だって“いい奴”って薦めてきたじゃん」
「情報として言ったまでで薦めたわけじゃねぇし」
さっきまで淡々としていたクロの声が少し感情的になっていて、子供の喧嘩の様な売り言葉に買い言葉が暫し続く。まあ、それは昔からよくあるいつもの事なんだけど。
「だいたい、そいつはいい奴かもしんねぇけど俺以上にいい奴なんていないんじゃないの?」
「何そのいい奴アピール」
「かっこよくて優しくて最高にいい奴、でしょ?」
「クロはいい奴だけど幼馴染じゃん」
「幼馴染み……だから、なに? 黒尾サンも男なんですけど」
ぐらりと体勢を崩され、そのままベッドへ押し倒された。
体格の違うクロに押さえ込まれた身体は完全に抑圧され身動きが取れない。
「待って、待って、なんなの?」
「チャンにとって俺はただの幼馴染かもしれないけど、俺は違うよ」
いつになく真剣な顔で言うクロのその言葉から、私は上手く自分の気持ちを隠せてたんだなと思った。バレー以外で真剣な顔をするクロを久しぶりに見た気がする。
手を伸ばせば届きそうな距離なのにあと数センチの所で手が届かなかった距離が縮まった。
「私もだよ、クロ」
その瞬間、なんとも言えないクロの表情が見えたかと思うと天井が映り、私はぎゅうっと強く抱きしめられた。 クロの腕の中はキラキラした陽だまりの中に居るみたいに温かくて十数年分の想いが溢れたキスをくれた。
スペクトル/20071013※2018加筆修正